何故歌仔戲の役者には女性が多いのか?

Posted on:May 7, 2023   at 03:52 PM

歌仔戲などと唐突に書かれてもピンと来ない人がほとんどだと思うのだが、最近歌仔戲と布袋戲の話ばかり聞いているので、さも全人類が知っているかのような気がしてしまう。歌仔戲 kua-á-hì とは台湾の伝統芸能とされたりされなかったりしている舞台芸術である。歌仔戲は台湾文化を考えるうえで避けては通れないトピックの一つで、文学研究や芸術研究からの観点からだけでなく、社会研究や政治研究の文脈からも取り上げられることも多い、なかなかに熱い領域なのだ。なぜそんなに注目が集まるのか?その理由の一つとして、歌仔戲が今まさに作られようとしている「生きた伝統」だということが挙げられるだろう。

ホブズボームが指摘するように、伝統というものはすべからく遥か昔に起源をもち、連綿と受け継がれてきたというわけではない。むしろ近代の所産であって、ぼくたちが想像するよりも浅いところで、何かの必要性に迫られて生み出されたと考えられる「伝統」が世の中にはたくさんある。たとえば有名なのはバリ島の例だが、バリ島の伝統芸能とされる「ケチャ」は何百年も前から行われていたような古来の文化ではなく、バリの観光化が促進された1930年代以降に「バリらしい」要素を再構成されて作り出された現代的な演目である。歌仔戲も似たところがあり、その起源は意外と新しく、1920年代に宜蘭の農村の娯楽として演じられた「落地掃」という大道芸に端を発する1

歌仔戲を見るのは割と簡単で、わざわざ劇場に足を運んだりしなくても、廟などにいけばめでたい日(祀られてる神様の誕生日とか)には仮設舞台が設営されてそこで演じられたりしている。大衆芸能として発展してきたその歴史を考えれば、日本の歌舞伎に近いものであるとも言える。と言っても実際にはさまざまな違いがあって、たとえば少し見てみれば、歌舞伎が男性の世界なのに対して、歌仔戲は女性が圧倒的に多いことに気づくだろう。なぜ歌仔戲には女性が多いのだろうか。

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歌仔戲に女性が多い理由2は、歌仔戲が発展した時期の台湾社会の変動と関係している。初期の歌仔戲は農民の余暇として成立したが、当時の農村は男性優位の社会であり、女性は何もできない弱弱しい存在であることを求められていたため、女性が舞台に立つことは稀で、男性を中心に演じられていた。歌仔戲は日本統治時代に急速に発展するのだが、当時の日本政府は女性が経済的に自立できるように、また国家の生産性を高めるために、家庭を離れて職場に入ることを積極的に奨励していた3。女性の経済力が向上すると、女性向けの日常的な娯楽の必要性が増すようになった。この女性の意識の変化が歌仔戲の黄金期と重なったわけだ。歌仔戲は当時の娯楽として主流なものであり、女性の観衆の増加は歌仔戲のスタイルにも変化をもたらした。具体的には、女性観客の嗜好に合わせるように多くの女性がキャストに加わるようになったことで、かつて男性の芸事であった歌仔戲は男女によって演じられるようになった。

ところが男女の役者が同じ舞台を演じ(しかも多くは恋愛物語である)、興行中には文字通り一緒に暮らすことになると、疑似の恋愛が本当の恋愛になってしまうことが多々あったという。これは役者とその配偶者にとってみれば大変「危険」な職場であり、歌仔戲の現場では役者が安心して仕事をできる環境を整えようとする必要性に迫られた。そこで女性が男性役も演じれば、劇団は男性役者を必要としなくなり、そのような「危険」がなくなると考えたのである。

しかしそういう話なら女性も排除される可能性があったはずで、歌仔戲も歌舞伎のように男だけの社会になっていてもおかしくはないようにも思える。なぜそうならずに女性中心の社会になったのだろうか?歌仔戲の名優である廖瓊枝によれば、これは主要な観客である女性が、歌仔戲の「哭調(泣きながら歌う場面のこと)」を好んだからだという。当時の台湾女性は社会進出を果たしたものの、社会制度や規範は男尊女卑の保守的な原則に基づいたままであり、依然抑圧されていた。その鬱屈した感情を発散するカタルシスをもたらすものとして、歌仔戲の「泣き」の需要が急速に高まったのである。この点で男性は女性に及ばず、美しく繊細な女性の姿がより優位に立ち、さらには観客が自己を投影して感情移入できるという点でも女性は有利だった。

そんなわけで女性のために女性によって演じられるようになった歌仔戲だが、ちなみに現代の歌仔戲でも主要な観客は女性で、年齢層も高めである。世代が変われば嗜好も変わるもので、今後はどうなっていくのだろうか。同じく「生きた伝統」である布袋戲が日本のアニメ文化と融合した新たな発展4を見せているように、歌仔戲も新たな観衆の獲得のための変化の最中にいるのかもしれない。

1. Chang, Huei-Yuan Belinda. “A Theatre of Taiwaneseness: Politics, Ideologies, and Gezaixi.” The Drama Review (1988-), vol. 41, no. 2, 1997, pp. 111–129.
2. 鍾邦友 (2013)、〈女人天下?-談歌仔戲中女性角色的婚戀議題〉 に詳しい。
3. たとえば南進台灣では日東紅茶の工場で働く台湾女性の映像が見られる。
4. 東離劍遊紀 Thunderbolt Fantasy のこと