雙語國家,自我殖民

Posted on:May 11, 2023   at 01:07 PM
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台湾師範大学の本キャンパスは日本統治時代の建築で、なかなかに風情がある。ぼくの在籍する臺文系も文学部なのだが、本拠地が離れの小さなビルの中にあって、教室も一般オフィスの会議室のような感じなので、あちら側の環境がうらやましい。先日、中はどんな感じなんだろか、と思い立って文学部の校舎を徘徊していたときに目にしたのがこのビラである。

雙語國家,自我殖民
「英語を公用語にすることは、自ら再び植民地に戻ろうとするのと同じである。」
「大学は学生の母語の多様性を認め、その環境を整えるべきである。」
「中央政府は、英語を公用語にするという愚かな国家政策を即刻取り下げよ。」
「みだりにこのビラを剥がす大学側は正義を軽視している。」

下の文字が小さいが、概ねこのようなことが書いてある。力強い言葉だ。ぼくは80年代生まれだからそれをほんとうの意味で知っているわけではないが、学生運動が盛んだった60年代は日本もこんな感じだったんだろうな、と想像する。

このビラが批判しているのは、蔡英文政権が発足後ほどなくして公布した、2030年までに英語を台湾の第二公用語にすることを目指す「2030雙語國家」という政策だ。この政策は台湾の国際的存在感を向上させるためと説明されているものだが、日本でも「社内公用語」として英語を話すことが奨励されているような企業があるが、台湾はそれを国単位でやろうとしているわけである。

ぼくは近年の英語教育ブームをかなり冷ややかな目で見ているのだが、台湾でこの政策が批判されるのは「英語が重要か重要でないか」という話からだけではない。この政策において「2つの言語」のひとつが英語であることは明示されているものの、もうひとつが何なのかは示されておらず、それが問題になっているのだ。この話題は台湾の火薬庫とでも言えるかもしれない。ここで示されないもうひとつはすなわち「あなたの母語」ということなのだが、台湾はすでに国語として中国語普通話を採用している一方で、家庭では台湾語・客家語・原住民(先住民)の言葉が優勢になるケースが多い。にもかかわらず、日本統治期から国民党政府による戒厳令が解除されるまで、これらの「母語」は長い間疎外されてきた。

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台湾と華人文化のイメージが結びついている現代のぼくたちは、台湾人が中国語を話していても何も不思議に思わないだろう。しかし、ほんの100年前には、台湾人が中国語を話していなかったと聞いて驚く人もいるかもしれない。100年前の台湾人は、台湾語と日本語を話していた。台湾人が中国語を話すようになったのは、「正統な中国」を主張する国民党政府の支配下で中国語を強制されるようになった戦後以降の話である。それを考えると、「2つの言語」のもうひとつが当然「国語」の中国語だとは、ちょっと簡単には言えなくなってくるのがわかるだろうか。いま台湾人が国語として中国語を話していることも、考え方によってはなんら必然性はなく、戦後の国民党による再植民地化の結果だとも言えてしまう。多くの台湾人にとって、母語は常に軽視されてきたし、抑圧されてきた。その上でなぜ、そのような経験の頭上を通り越すように、英語公用語などという話が出てくるのか?なにか大事なことを見落としているのではないか?これが冒頭のビラが提起する問題である。

「脱中国」を志向すればグローバル化を目指すことになり、その飛躍力・跳躍力の向上を意識するようになる一方で、同時に台湾はまたローカルな土地に自らの起源を求め、足元を固めることも必要としている。海外の学生を呼ぶために英語だけで卒業単位が満たせることをアピールしつつ、一方で台湾語で授業を行うから台湾語ができない者は履修不可1、となっている授業がちらほらある臺文系はまさにその象徴的な場だろう。外に広がりながら、内も掘り下げなくてはいけない。どちらも同時に進めなくてはいけない。引力と斥力で引きちぎられそうな場所、それがこの島なのだ。

1. こうした動きは「国語(=中国語)」というヘゲモニーへのカウンターとしてはじまっているのだが、少数派の非台湾語話者の台湾人からすると、これもまたヘゲモニーの一つになってしまう。それが難しい。