かみさまの歌声

Posted on:May 5, 2023   at 03:42 AM

まずはこの映像を見てほしい。

この映像は2013年の映画『看見台灣』のクライマックスの場面で、撮影したのは齊柏林というドキュメンタリー映像作家である。齊柏林は空撮で有名で、空から見た台湾の美しさを伝えるというコンセプトの『看見台灣』は、その年の金馬獎で最優秀ドキュメンタリー映画賞を受賞したが、続編を撮影中にヘリコプターが墜落し帰らぬ人となった。

映像に映っているのは台湾原住民1ブヌン族2の子供達で、歌っているのは「Kipahpah Ima(ブヌン語で手を叩こう、の意)」という歌である。記録によればこの曲は40年ほど前、ブヌン族の伍欽光と王拓南という人物によって創作された。敬虔なキリスト教徒だった彼らは専門的な教育を受けた音楽家ではなかったが、外からやってくる同族を歓迎するための音楽がなかったことを惜しみ、そのために作られたのがこの歌なのだという。一度聴けばわかるように、ブヌン語で歌われているにもかかわらず、現代の(しかも日本人である)我々にとっても耳馴染みの良いこの曲は、いわゆる「伝統音楽」「民族音楽」の類ではない。今を生きる人々によって、今まさに生み出されている現代の音楽である。

台湾原住民は早くからヨーロッパ人と接触していたため、キリスト教が広く信仰されている。原住民全体でキリスト教徒が占める割合は約80%にも上る3。近年の原住民はその長老派教会のネットワークを独自の外交パイプラインとして活用し、中央政府とは独立した形で文化的な交流を行うようになっている。南投縣で小学校校長を勤めたブヌン族の教育者、馬彼得(Bukut Tasvaluan)は在職中にVox Nativaという児童合唱団を立ち上げ、2015年にはウィーンの聖ペーター教会での公演を実現させた。これがきっかけでVox Nativaは世界に知られるようになり、「Kipahpah Ima」は自民族のアイデンティティと結びついた先住民を代表する文化の成功例のひとつとして認識されるようになった。

さて、そんな予備知識を補足したところで、本題の歌詞を見てみたい。

Kipahpah Ima, Kipahpah Ima, Musukunta Kipahpah Ima.
(手を叩こう、手を叩こう、皆で一緒に手を叩こう)
Kahuzasa, Kahuzasa, Musukunta Kahuzas.
(歌おう、歌おう、皆で一緒に歌おう)

Manaskal Saikin Sadu Mas Muu Tu Taisisan.
(兄弟や姉妹に会えてとても嬉しい)
Mahtu Mapasadu, Manaskalik, Nakahuzas.
(会えて嬉しい、だから歌おう)
Manaskal, Manaskal.
(喜びよ、喜びよ)
Manaskal Sisdang Tama Kamisama.
(喜びに満ちて、神様を仰ぎ見よう)
Uka Hanimumulan, Uka Kaisalpuan Is-Ang
(悩むことはない、怖れることはない)
Kaupahanian Aluskunan Kamisama.
(神様はいつもわたしたちと一緒にいるから)

お気付きだろうか。ブヌン族の子供が歌う Kamisama とは神様のことである。彼らが自らと自民族の誇りの拠り所として育み、そのアイデンティティを託した歌の最も重要な箇所で、高らかに日本語で神様と歌いかけている。このことを、日本人はどう受け止めるべきだろうか?

言うまでもなくこの Kamisama は日本が台湾を統治していた時代に日本人が持ち込んだ言葉だ4。不思議なのは、God(あるいはAncestor)という概念はそれまでの原住民にもあったはずなのに、どうしてその言葉(しかも恐らくは大事な言葉である)がKamisamaに置き換わったのだろうか。日本人もなぜ神様という言葉を教えなくてはならなかったのか。そこにはきっとなにか物語があったはずである。もしかしたらそれは彼らにとって悲しく辛い記憶なのかもしれないが。

ともかく、ほとんどの日本人がとっくに忘れてしまったところで、(その良し悪しはともかくとして)日本人の残した魂のようなものが形を変えて受け継がれていて、他の文化のなかに息づいて芽吹き、彼ら自身の花を咲かせて現代の日本人の心に届いている。そしてその花から漂う微かな残り香に宿る意味は、我々日本人にしかデコードすることができない。遠い遠い昔から手紙が届いたかのようなこの出来事に、ぼくはなにか壮大なドラマを感じずにはいられない。同じように、「KAMISAMA — 神様」が繋ぐ縁に多くの日本人が気付き、遠いところに兄弟がいるような、なんとも言えない愛おしさのようなものを感じてくれると良いと思う。

1. 日本の慣例では「先住民」とするべきだが、台湾では逆に「原住民」とするべきとなっているため、台湾原住民と記す。
2. 台湾中部から南部にかけての山側に分布する原住民族。人口約5万人。参考:Wikipedia
3. 洪瑋其(2018)、〈兩種百步蛇:台灣原住民族文學中基督宗教的治癒與網羅〉
4. 日本統治下で台湾に定着した日本語の例は本件にとどまらず、枚挙にいとまがない。