ハロー、ライカ

Posted on:April 29, 2023   at 11:01 PM
RICOH GR III F4.5 1/15sec

初めて手にしたカメラはオリンパスの一眼レフだった。20歳ぐらいの頃だ。当時はスマホなどもなかった時代なので、写真を撮りたいと思ったらカメラを買うしかなかった。その資金をどう工面したのかは覚えていないが、相当勇気のいる買い物だったことは確かだ。最も安いモデルだったとはいえ、レンズと合わせた金額はそれまでに払ったことのない高額で、手に入れてしばらくは嬉しさよりも、なにかとんでもないことをしでかしてしまったような気にさえなった。

なぜカメラを買おうと思ったのかはよく覚えていない。人気のない夜中のお台場に行ったりしていたから、夜景が撮りたかったのかもしれない。当時TOKYO NOBODYという写真集が好きでよく眺めていたから、それに影響されていたのかもしれない。人が写っていない写真を美しいと思った。

それからしばらくして、恵比寿に写真の美術館があることを知った。興味を持って入館すると、そこには白黒で撮られた人の写真がたくさん飾られていた。人といってもポートレートではなく、街にいる普通の人々の写真だった。それは彼らの生活であり、日常だった。何も知らず訪れたぼくは、それを美しいと思った。あとからそれがブレッソンの写真展であり、彼がどういう写真家だったかということを知った。

人を撮るようになったのは娘が生まれてからのことだ。使うカメラもレンズも色々と変わったけれど、日常を撮りたいという気持ちは変わらなかった。オートフォーカスの優秀さも、連射の速さも、ぼくには必要なかった。撮りたいという気持ちにさせるカメラやレンズこそが必要だった。それはなんでも任せられて、お手軽に良い写真を量産してくれるような優等生のカメラではない。コーヒー趣味も似たようなところがある。ボタンを押せばいつものコーヒーが出てくるマシンよりも、豆の挽き具合や量、お湯の温度、タンピングの強さ、抽出時間を自分でコントロールして試行錯誤しながら、失敗したり上手くいったりするのが楽しい。面倒くさい趣味が好きなのかもしれない。大学院通いも趣味のようなものだが、その意味では研究も往々にして面倒臭いものである。

ともかく、こうして今、ぼくの手元にM型ライカがある。


LEICA M11 Summicron-M 1:2/35 ASPH. F3.4 1/160sec

どんなライカユーザーも、ライカを初めて手にした時のことは忘れられないそうだ。それはそうだろう。カメラは何台も買い替えてきたが、こんな金額をこんなに趣味性の高いものに払ったのは初めてなのだから。いつか体験したのと同じように、よくわからない罪悪感に苛まれているし、嬉しさよりも、もう引き返せない覚悟のような感覚が身体を貫く。しかし考えてみれば、この引き返せなさがいつもぼくを遠くに連れてきた。東京で無人の夜景を撮っていた自分が、今は台湾で、愛すべき台湾人にレンズを向けている。相変わらず、引き返せなさの向こう側で逆張りを続けるような人生を送っているような気もする。オリンパスのカメラを買ったあの日から、自分は何か変わっただろうか。あらゆるものが変わったようで、変わっていないようでもある。