猿よ、猿よ、夜の森に

Posted on:May 22, 2023   at 01:59 AM
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近年、台湾文学研究の文脈で再注目されるようになっている張文環という作家がいる。張文環(1909 – 1978)は日本統治時代の台湾を代表する小説家とされており、その作品は日本語で執筆されている。戦後は国民党政府による言語的・思想的弾圧により執筆活動を放棄していたが、亡くなる3年前の1975年に『地に這うもの』を日本語で書き上げ、日本で出版した。この時台湾はまだ戒厳令下である。『地に這うもの』は張文環の自伝的な小説で、日本統治時代の台湾人を描いたものだが、当時の台湾人が日本語で自らの人生を表現しようとすることに相当の覚悟が必要とされたことは想像に固くない。1

張文環はリアリズム小説の巧者と見做されており、その作品は日本と中国のあいだで振り回される当時の台湾人を緻密に描いているものが多い。『地に這うもの』はまさにその代表的で、かつ直接的なものである。これはその表現について、戦後30年という時間が日本の植民地主義から自由にし、また日本語で書き日本で出版したことで国民党政府の弾圧からも自由になることができたからだ。たとえば皇民化運動で改名を迫られた台湾人について以下のような表現がある。

日本人並みの名前を頂戴したのはいいが、啓敏にとっては、日本人でもないうえに台湾人でもなくなった。

台湾人の癖に名前だけ日本人になっても、若いものならともかく、初老に近い身にとって、心からの生まれ変わりができるはずがない。

台湾語と日本語が入り交じる当時の言語状況の描写も印象的である。

台湾人は日本語があまり上達しない反面、繊細な感情をあらわす台湾語もやがてなくなるであろう。いつまでも蜜柑皮式の日本語を使いながら、台湾語の語彙が失われつつある。

小説中にある人物が登場する。彼は6人の妻を持つ台中の大富豪で、日本に旅行に来た際に女中を7番目の妻に迎えようとして口説いたりするのだが、その会話の中でみかんの皮を女中に剥かせようとして「みかん、皮、サヨナラ」と日本語で告げるシーンがある。「蜜柑皮式の日本語」とはそれを揶揄しているわけだ。張文環が生きた時代からさらに半世紀近く過ぎようとする今、台湾語の語彙が失われつつあるというのはより一層深刻な問題と捉えられている。台湾人の会話を注意深く聞いているとわかるのだが、台湾語を母語とする台湾人も、すべての表現を台湾語で賄えるわけではない。「国語」でないと表現できないものがたくさんある。大学にそれを学ぶための学部が設置されたりするのもそういう事情がある。

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で、このような思想を持っていた張文環が日本統治時代(とくに太平洋戦争期)に「ほんとうは」何を書こうとしていたのか?ということが最近のトピックで、その題材としてよく取り上げられるのが「夜猿」という小説である。「夜猿」は1942年の作品で、当時発行されていた『台湾文学』という雑誌に掲載された。ある一家が都会生活を捨てて山奥にある親族の土地を活用して製紙工場を立てるものの、経営は厳しく、父親が都会に出て資金の工面などをしているうちに揉め事を起こし、人を殴り警察に逮捕される。その知らせを聞いた母親が夫を心配して子供の手を引いて都会へと急ぐシーンで話は唐突に終わる。この小説は1997年に刊行された『日本統治期台湾文学 台湾人作家作品集』に収録されているが、巻末に作品解説があって、このように書かれている。

山間での孤独な石一家の生活のすみずみまでもがリアルに描かれており(中略)、その描写は単なる描写の羅列となっている箇所もあり(とくに作品の後半部)、また、この小説のテーマそのものが判然としないうらみが残る。小説の末尾で一家の主人の石が人を殴って警察に捕まったという件は、こののんびりとした山間生活の静寂を破るように唐突に現れ、不幸な結末を暗示させるが、物語はそこで終わり中途半端な読後感が残る。

これを読むと、「夜猿」はリアリズム的表現が評価された作品だったが、実のところそれが物語として何を言おうとしたものだったのかということについてはあまり理解されておらず、物語としてはむしろ尻切れトンボで完成されていないとさえ見做されていたのがわかる。作中では石一家は夜に群れをなして竹林を荒らす猿に難儀しており、それを追い返すための罠を仕掛けるシーンなども描写されているのだが、そのシーンの意味や、そもそも「夜猿」というタイトルが何を意味するのかも明らかになってはいなかったのだ。このような評価にポストコロニアリズムの立場から懐疑的な目を向け、再解釈を試みるのが昨今の張文環研究で、その文脈では「夜猿」は日本の植民地主義の中で振り回される台湾人を描いた寅話であり、暗にそれを批判し抵抗を示すものだとされる。それを踏まえて「夜猿」を読むと、なるほど、と思うところがいくつか見つかる。中でも印象的なのが

母が一ばん心配してゐるのはこの二人の子供である。(中略)ほんとは工場において来ればいいのだが、母は片時も二人の子供をそばから離すことが出来ないのでかうして二人を抱へて山を降りていかなければならないのである。民坊はその母の姿をお猿さんが子供を抱えて逃げるのと同じやうに、町の商人が憎たらしくてならなかった。

という部分で、この箇所もかつては母の愛を描いたリアリズム的表現として読まれていたそうだが、反植民地主義的な解釈では明確に抵抗と批判の表現になる。つまり台湾人は夜になると群れをなして降りてきて人間に疎んじられ、また人間の仕掛けた罠に慌てふためき、山へと逃げ帰っていく猿と同じだということだ。こう読むとなんとも痛烈な社会批判である。興味のある向きにはご一読を勧めたいところだが、定価58000円というとんでもない本で入手も困難なので、かつてそういうことを日本語で書いていた台湾人がいた、ということを心の片隅に留めておくくらいでも良いかもしれない。

1. 戒厳令下の陰鬱な雰囲気が知りたい人は、ゲーム『返校』をプレイすると良い。